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掲載日 2023-04-25

【その壱】
中国で先日(4月7日〜12日)行われたJoy Cup Masters という優勝賞金1億円トーナメント(Chinese8ボール)のお話を書こうかと思う。

このトーナメントは2022年12月に予定されていたのだが、中国のコロナ事情で延期、再延期されていたものである。
エントリーは中国人枠と外国人招待枠があり、誰でも自由に出場できるわけではない。かなり成績というか実績がないとエントリーさえできないわけである。

私はOn timeでは見る方法がなくて…とりあえず大まかな結果だけです。
日本代表の大井選手は17位タイ。
外国勢の優勝候補筆頭だったPottsも同じく17位タイというのには驚いた。
Mellingが9位タイで、Best8のうち6人が中国人。
やはりこの3年間で中国人はずっと強くなったのかしら。
Yang Fanはどこで負けたのだろうか?

(画像1の左から)
優勝は、Zheng Yubo!!
準優勝は、Tang Chunxiao(女性プレーヤー・ボール1個ハンデ)
3位は、Chu Binjie


優勝賞金が1億円で、準優勝は2000万円程かと思うが、とにかく第1回が無事に終了したね、良かった。
World Poolのツアーは現在優勝が2万ドル。
世界選手権が7万ドル程かしら。
しばらくはChines8ボールに頑張って業界をリードしてもらいたいものである。


私は今回道具に注目して見ていた。
Pottsはスヌーカー風のキューで、Potts Cueで参戦していた。
優勝したChen Yuboもやはりスヌーカーキューだった。
MellingはカーボンシャフトでCuetec。
Chu BinjieとTangは12.5mmの2ピースキューである。
これを見ていると、まだあと数年は多彩なバリエーションのキューが出てくるだろうと思う。

おっと、スヌーカーというので思い出した。
2022年に初の中国人スヌーカーチャンピオンということを前回書きましたら、中国のお客様から間違っているよとご指摘を受けました。
丁俊暉(Ding Junhui)選手は2005年に最初のメジャートーナメントを勝ち取り、今まで延べ14回のメジャーを勝っているそうです。
本場で優勝するというのはそれは大変なことだと思います。
よく調べもせずに書きまして、皆さまにご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。




【その弐】
第80回全日本スリークッション(4月7日〜9日)で私と同世代のルパン亀戸のオーナーの島田プロが準優勝されました。
おめでとうございます。本当に嬉しかった!!

正直に言いますと(失礼なのですが)、この結果は全く予想しておりませんでした。
ただ、私が1月、3月、4月と新潟から亀戸のお店におじゃましました時に、島田プロが以前よりもエネルギーがあってよく球を撞いているな、と感じていました。
2,3年前は大病を患ったとかで、1Gを撞き終えるとあとはカウンターの席でお休みという感じでしたので、ご回復になり本当に嬉しい限りでした。

よく“中年の星”などと言いますが、70歳もそうなのかしら。壮年?
この快い知らせに69歳になった私の心も弾み、そして私の下手くそのエネルギーにもなりました。
拍手喝采とはまさしくこのことです!!
おめでとうございます。




【その参】
4月16日の早朝にメールが入ってました。
今度も嬉しいお話です。

Tim ScruggsがACA(American Cuemaker Association)のHall of Fameに選ばれたというものです。
私とTimはとっても面白い縁で繋がっています。
今日はそのお話をここに書きますね。


1997年だったかな?
Expoの会場で私からDan Janesに聞いたことがある。
私「Tim Scruggsはどうしていつも難しい顔をしているの?」
Dan「どういう意味だい?」
私「いや、ブースにいつも座っているけれど、2人でしかめっ面をしているだけで全然楽しそうに見えないよね…」
Danに聞いたのはTimはDanの工房で修業していたからです。

次の日の朝、会場に入ると私を待っていたようにDanに呼び止められた。
「Lucky、Timはこの業界では最も良い奴なんだ。絶対人を裏切らない、保証する。だから彼の話を聞いて助けてやってくれないかい。」
Danは私が尊敬するキュー業界の重鎮、いつも私にあれこれ教えてくれる先生でもある。わけがわからなかったけど、とりあえずOKしたの。

それで彼のブースに行ったが相変わらず難しい顔をしていて…
「How's the show for you?」と聞いてみると「Very slow…」とそっけない。
少しキューを見せてもらい、とりあえずいきなり立ち話もなんだから、一緒にLunchをしようと約束して別れた。

Lunchの1時間はTimも笑顔が出る、そして私の分まで支払いを済ませようとした。
Danの言う通り、本当にとっても良い人だね。
Lunchの席ではMikeとTimは通りがかりの人からはとっても不機嫌に見えているよ、と伝えたの。
自分のブースは自分の家と同じで、通りがかりの人はみんな自分の家に来るゲストだよ、と。だから必ず2人のどちらかは立っていて、お客さんに手を振ったり声を掛けたりしないといけない、それがキューセールスというものだよ、と言ったら、Timは「イヤ、我々はキューメーカーであってセールスマンではない」と言う。
「いやいやそうじゃないでしょ、キューを見せて説明する立派なセールスマンだよ、座って苦虫をかみつぶした顔ばかりしていたら誰もブースに入っては来ないよ。」と伝え、次の日の朝食も一緒にすることを約束した。

午後、Timはずっと立っていました… ニコニコ笑って私が通りすがりに目をやると小さく手を振ってくれて…。(ちゃんとやってるよ)とばかりにね。
キューが売れたかどうかは聞かなかったけれど、常に人だかりがあって、今までとは大違いなことを彼は身をもって経験したのです。


次の朝、彼らは時間通り登場。(キューメーカーはまず時間を守らないので、これだけでもすごいこと。)
Timはもうまるで別人で、私に対して学ぼうとしているのが感じられるけど、Mikeは相変わらず不機嫌…、彼には昨日何も教えていないので仕方ありません。
彼らは朝はコーヒーしか飲まないのですが、私は構わずひとりで食べながら話を聞いたら「実は悩みがある」ときた。
我々は2人でShopをやっていて、お客は地元の人相手で手ごろな価格でやっている、とても忙しい。でもどうやったら価格を倍にできるのか?
私「?ただ上げればいいんじゃない??」
Tim「いや、付き合いの長い客ばかりだからそれが出来なくて困っている。」
私が何を言っても返事は「できない」だった。
それで私は前日見せてもらったキューで私の目に気になったことをいくつか…、いや、いくつも指摘した。そしたらそばでずっと黙っていたMikeが真っ赤な顔をして怒り出した。
「オマエがさっきから言っていることは手間と時間が今の倍もかかることばかりだ!!誰もオマエの言うことは俺には言ってこないのに、オマエは何様だ!」と席を立って行ってしまった。
私が言ったことは作りとデザインと塗りと磨きのことで、それはMikeが担当していたわけだから仕方ないよね。ましてや私はScruggsをほとんど買っていないのだから、Mikeが怒るのもムリのないことである。彼の目から見える私はド素人なのだ。私はただ価格を上げるならばそれなりの理由が必要と伝えたかっただけなの。


Tim Scruggs Cueの看板はTimであるが、メインの製作者はMikeだったのを知ったのは彼らの工房を訪れた1998年のことだ。
価格を上げるために注文を断ることを教え、ディーラーディスカウントを全部やめさせた。
すべてのキューを3年程日本で販売するという契約をし、とりあえずバックオーダーをクリーンにしてTim Scruggsのキューが私のところに入荷し始めたのが2002年のことである。
2000年の東京ビリヤードエキスポにも積極的に参加してくれたし、
2003年のLucky's CueのExpoにも快く来日してくれた。
2人との食事は毎日ホテルのそばのロイホだったけど、とても気に入ってくれたネ。
みんなで牛角で食事した時にはテールスープのところでみんなで大笑い!!
Mikeもまるで別人のように笑顔いっぱいで愉しんでくれたっけ。
まさしくON!!だったね。彼らからすれば、『キューを作れば全部買ってくれる』という約束で安心感もあったのかな… だから私の要求もよく聞いてくれた。特にデザインは一気に開花した感があった。


その頃の私はBlack Boarともお付き合いがあったので、TimとMikeをTonyの工房に2度ほど連れて行ったの。いわゆる顔つなぎだね。
これはがきっかけでTimのキューにNCの技術が入ったわけで、Mikeは自宅のガレージにマシーンを入れて家でも仕事をするようになった。
実はこれがCochran Cueの誕生である。
たった40本程しか作られなかったMC Cueのこれがバックストーリーなのよ。

Tonyのところに連れて行って、Tonyの仕事を見せて、NCというものを理解させて、それが製品として現れたのが2006年だったと思う。
様々な細かいことをクリアして、ようやく製品化されてまさにこれから!! …という時に心臓麻痺…。
『アトキンソンダイエット』という、肉だけを好きなだけ食べるという減量をしていて、その矢先のことだった。
確かに身体は筋肉質にはなったけど、以前よりずっと赤い顔をしているのが心配で、Mikeに「大丈夫?」と言っていた頃…2010年の2月だったかな?
Timから大泣きで電話がきて驚いた。
こうしてMikeが亡くなったと同時に、Tim Scruggs Cueも工房を閉じたのである。


Tim ScruggsのHall of Fameの宴では、このMikeの話がTimの人となりを表現するのに語られたそうである。
全盛期は本当に短かった。
でも最高のキューメーカーとして認められたね。
心からおめでとう、Tim & Mike !!!!