ひとりごと

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【 キャップの値打ち 】

掲載日 2022-01-27

キューメーカーとしては、
キャップなどにはなんの値打ちもない、と心底思っている。
打感が一番とこだわったジョージも作っていない。
ガスもキャップを作るのを大変に嫌がったそうである。
キューは打感が全て、先達はそう言っているわけだ。
だから自分もというつもりなどさらさらない。
おいらの方がずっとずっと良い、そう思っているわけでもない。
イヤイヤながらも作ってますよ。

これが、キュー作りをする前の売り手だった頃は真逆の気持ちだったのだから実に不思議なものである。
なんて勝手なヤツだと罵ってもらって結構だ。

待てよ、この流れを変えたのはだれだ?
…ふと頭をよぎった、ムムム、奴だ、あいつだよ。
買い手の気持ちを思い描き、どうしたら売れるのかを考え抜いたあいつだと確信する、ケースまでつけやがって!テメェのせいだぞ!
彼が何を感じていたのか、何故こんなことを考えたのか知っている?

彼のキューは売れていなかったの…、ただそれだけ。
第二世代のキューは斬新なデザインだったけど、少し売れてそこでぱったりと止まったんだ。
なぜなら彼のキューには大きな欠点があったの。
よ〜く覚えているし、証拠がある。

彼が斬新なデザインのキューを引っ提げて颯爽と現れたのは、忘れもしない1992年のBCA エクスポだった、場所はKansas city。今から30年も前のことだ。
私はBurton Spain とBert SchragerとBarry SzambotiとBill Schick…、4人のBSと5人でGolden Oxというバーベキューレストランでポークリブに舌鼓を打ったっけ。5月か6月だったね。
Burtonが余命1年という末期がんで、最後に20本のキューを作るからLucky1本どうだい、と言われて丁重にお断りしたんだ。悲しくて注文なんかできなかった。
その時のBCA Expoに、彼は3日目の昼過ぎに颯爽と最新作を持ち込み黒山の人だかり。
4日目も私はぜーんぶ欲しかったけど、Schickとホテルが同部屋で、とにかくどうしようもなかった。
Billは隣のベッドで「あれとおんなじものを俺が作ってやるから待っていろ」と言うだけで一晩中彼の悪口を言っていた。
買っちゃだめだ、同じものをすぐ作ってやるってね。
だから1本も買えなかった。
そうして半年か1年程経ってSchickから数本届いたのがシカゴスタイル、…何本も買わされたよ、お前のオーダーだと言ってね。
しかもクソ高い、本家よりもずっと高いのだ。
デザインはまずもってGinacueとまったく似ていない、一体どこが同じなんだ??
今となってはBillの代表デザインとも言えるが、まったくの別物だよね。どうしてこれが同じと言い張れるのかずっとずっと不思議だったのだ。


その年(1992)は、自分がプロとして試合に出ていた年でもあった。
あれは忘れようとしても思い出せない不思議な一年だったのでよく覚えている。
事件が起きたのはその年の秋、11月の選手権の試合中に彼は試合会場に来たの。
バラのコピーを数本持って売りに来たRBと一緒にネ、一人では不安だったのだろう。
何を思ったのか、私の試合中に…、一番大切な試合中にオニールのキューケースを2つ3つおっぴろげてRBは俺にキューを見ろと言う。
ハッキリ言って邪魔だよこのコピージジ〜!
このおかげで試合は何がどうなったのかさっぱり覚えていない。
たしか世界チャンプの張ホンパンとせって最後はまくられて負けた時だったかな。もう全部がごちゃごちゃで忘れようとしても思い出せない。
これが試合中でなかったらアーニーのは全部買ってたけど…でもおいらの晴れ舞台だった、いくら気になっても試合をほっぽって見に行くなんてできなかった。
で、試合が終わって急いで探したけど、もう2人とも何処にもいない。
結果、ただただオレの試合を邪魔しに来ただけだった。

12月に入っておとなしくしていたら、ハワイの兄貴分のアキから電話があり、「Ginacueをなんで買わなかったんだ!」だと。
ハッ?! ハハ〜ン、、、読めてきた。
BCAで俺が買いたかったけど買えなかったという話を兄貴にしていたから、アーニーはそれを聞いて俺のところに全部持って来たってわけだ、、、おそらく筋書きはそうだ。間違いない。
で、アーニーは帰りにハワイに寄ったけどやはり1本も売れなかったって。日本でもハワイでも1本も売れなかったのだ、これが証拠だ。
当時の自分としては兄貴分の電話だと買わないわけにはいかない。
それで黒檀のラスプーチンとシルバーのアーチのピンクアイボリーと、確か3〜4本を買ったの。お付き合いでね。
兄貴分はしぶチンで1本も買わない。間を抜くだけ。きったね〜の(泣)。

後年、アーニーと仲良くなってこの話をしたら、その黒檀のレインボーモデルは最初に3本作って俺が手にしたのはそのうちの1本。
シルバーのアーチはピンクアイボリーも黒檀もスネークも各1本ずつ作ったそうだ。
その後は1本も作ってなくてもう2度と作らない、と言われた。
大変な作業だったそうだ。…う〜ん、今ならわかる…今の自分ならどう作るかな…。
その後作ってくれないかと頼んでみたけどやっぱり固く断られた。

当時のおいらの買値が確かアーチキューは6500ドルだったと思う。レインボーは3900。
あっ、今思い出した、もう1本はスリーブに大きな三角のアイボリーが入っていたな。
今だからすんごく理解できる。安かった。バカ安。
でも全然売れなかったのだよ。
自分で買ってみてわかる。全部とんでもなく重かった、言ってみれば装飾品だからね。
キューは道具だから見た目だけでは誰も買わない時代だったのさ。
6月に発表して売り切るのに半年以上かかったのも当たり前だ。
欠陥品とまでは呼べないけど、当時はキューはやはり打感が一番という時代。
ジョージ、ガスの流れからすると仕方のないところだよね。

アーニーからしてみれば、デザインから作り始めてから出来上がるまで3〜4年かかってこの始末だったから悩んだだろう。
彼はどうしたら売れるのだろうかと随分苦労したの、俺にはわかる。
そして高級品としてのキューの立ち位置を目指したのだろうね。

ついでという感じがあるけど、
以前何処かで俺は嘘を書いてみんなを騙した、
それはここで謝る、ごめん。
『最終日の午後に颯爽と現れてあっという間に売り切った、、、』
と書いたけどでもあれはイメージ作りのための真っ赤な嘘。
実際は半年経っても売れなかったのだ。
重くて引き球もできない道具なんて誰も買わない時代だった。

だから彼はキャップをつけてより他との差をつけたわけ。
キューケースまでつけたのもそれが理由だよ。
打感が悪いから高級品の装飾品として売ろうと思ったわけだ。
こうして色々思い出すとキャップには値打ちなんかない。
脱がせるためのパンティみたいなもんだ、何色でも構わないとオレは思っている。



ここできっと「彼のキューはどうして売れるようになったのか」という疑問が出るだろう。
いつかどこかで彼の歴史を書こうと思っていたから、ちょうど良い、ここに少し書いてみようか。


アーニーとは最初の出会いが悲惨だった。
ハワイの兄貴分のアキと一緒にLAの工房を訪れたのがたしか91年か92年。
思い立ったら吉日、みたいな性格のアキは何事もさっさと軽く決める。
あの日もそう、こっちが家族でハワイに遊びに来ているのに、
「よし、今からLAに行こう、決めた!」、、、こんなノリだ。
オレの家族はどうするんだ、バケーションは?
仕方がないから家族はハワイで留守番だ、何とかなるだろう。

アキとLAに飛び、アーニーのショップに着いてブザーを鳴らす。
…が、誰も出てこない。
アキは「居ないのかなぁ〜?」だと…。
大体来る前にスケジュールを伝えておくだろ、普通。
だからハワイアンは嫌なんだ、ついていけない。
アーニーの携帯に電話したら「今開けるよ」だって…いたんだね、ホッ。
(これ全部ホントの話よ。)
アーニーのイメージはギラギラ。なんか用か…的な雰囲気があった。
とにかく中に入れてくれて少し話をした。
アキはオレのことをラッキーと紹介した。
アーニーはオレに対してとても不機嫌で顔も見ない。
不思議な奴だ、わざわざ来たのに…だから嫌だったんだオレは、ほんとにそう思った。
アーニーにラッキーはガスのコレクターだよとアキが教えてやっと初めて話をした。
キューは何本持っているんだ?
う〜ん、…400本かなぁ。(少なめに言ってみた)
ナニッ!!ハオメニーガス?
メイビー60?(これも少なめに…)
ホワッツ? ソーハオメニジナキュー?
メイビースリー?(多めに…ホラ吹き!!)
ホワイ何チャラすっちゃらxxxyyyz!!!
怒っちゃってるよ、もう。知らねーよっ。
1本も持ってないのに3本って嘘言ったのがもうバレたのか?!
結局水1本もコーヒーも何ももらうことなく2、30分ぐらいで叩き出された…。
ハワイから6〜7時間かけてヒコーキ代かけて怒鳴られて終わりだよ。
これが彼との最初の出会いだったのだ。
しかも彼の英語は私の耳には全然入ってこない。
スペインなまりの英語はハワイアンの英語に慣れた当時の自分には全くフレンドリーではなかったの。


アーニーの1960〜1970年台のことは色々と噂がある。
でも何も確証が無いのでうっかり話はできない。
ただ、1973年からちょうど15年どこかに行って何かをしていたのだけは間違いない。
1988年から機械の整備を始め、練り上げたキューデザインを実際に作り始めたわけだ。
出来上がりが1992年、大変な力作ぞろい。
でもそれらがかなり重すぎるキューばかりだったのはここまで書いているな。

普通ならばここで終わりだが、アーニーのキューの噂を聞いてBill Stroudが工房を覗きに来たんだ。これが1992年。
半分はデザインを盗みに来たわけだ。
アーニーは自分のキューを見せ、頭の中もすべて見せた。
Billはアーニーにキューを軽く作るコツを教えたの。
NCを使ってスピードアップのコツも教えたのだ。
93、94年、アーニーはあまりキューを作っていない。
現実には奥さんを連れてStroudの工房まで行って大変な刺激を受けてぶっ飛んで帰った次第。
JWは最新式のキュー作りだった。
NCを色々と利用したキュー作り。
Billは新しいことを取り入れるのにオープンだった。
古くからのキュー作りを15年ぶりに始めたアーニーには大変新鮮で刺激的であったわけだ。
アーニーはそれを独学で機械を入れプログラムしてデザインできるようになった、、、努力家だったのだ。

その後でBillがアーニーの工房に行ってのぞいたデザインをアーニーよりも先に作って出したのだ、ブリッジポイント。
夏に目にしたデザインを秋の終わりにはBillが発表したわけだ。
そうしてアーニーが2、3ヶ月後に売り出したら、事もあろうに『アーニーが俺のコピーをした、俺が教えたデザインだ」と言いふらしたのだ。
おそらく半分は冗談だったのだろうと思うけど、プライド高いアーニーは激昂してそれ以来犬猿の仲になったのよ。

アーニーはたくさんのテクニックをビルから教わった。
アイディアだ。
重くてあまり振り向かれなかったキューがいつの間にかとっても軽くなったわけだ、しかも元々が大変に安い。
こうしてずっと見ているとアーニーのキュー作りの歴史はもうずっと重さとの戦いであった。
最初に重すぎてみんなにソッポを向かれたからずっと骨身にしみてわかっていた。

新しいことをするにはテーパーコアをしたりして象牙ハンドルのキューをなんとか20オンスほどに収める努力もした。
黒檀のフォアアームに黒檀のハンドルで見栄えをよくすることに力を注いだのもアーニーの力だ。
元々のデザインセンスは誰よりもあったからね。

それからもうひとつ見逃せないのが、
アーニーのキューが売れ始めた理由のひとつとしては、
エンサイクロペディアでの大きな紹介があったこと。
エンサイクロペディアに6ページの見開きで特集を組んでいるのはVictorの先見の明である。
そうして最後のダメ押しは私がたくさんの宣伝をしたこと。
パターンモデルしか作りたくない彼に色々木材を指定してレインボーモデルを作らせたのも大きかったね。
その前はずっと黒檀だけで、彼は色々な木材で作ることを嫌がったけど、しない言い訳を私は聞かないようにした。
簡単にできるよね、と提案したら渋々作ってくれた。
ピンクアイボリー、パープルハート、ターコイズ、アイボリーポイント、パドゥーク、なんやかやで10種類ほどだ。
さらにロングバージョンを作りシルバーロゴも入れ始めた。
私が工房に行き始めた頃は作っていてもせいぜい1回に15本程だったのがいつのまにか毎回30本から40本を仕上げるようになった、それも年に4回。
忙しいからヘルパーも入れて作るようになった。
キュー作りでは昔は直線的に平底で入れていたけど、
いつのまにかハギ材なども全部アーチ型になりシルバーフレームもアーチ型になっていた。(軽量化のため)
驚くことに彼は磨きとかでも私が少し気に入らない、と言うと必ず次の作品では修正して見せてくれた。
素材を変えたりテクを変えたりして、どうだい、と言わんばかりであったね。
その頃から今も、私達はずっと良い友達だ。


この続きは、また今度♪
Ginacueについてはまだまだたくさん書けるからネ。