ひとりごと

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【 Sunrise Sunset 】

掲載日 2019-07-24

Sunrise Sunset
陽は昇り、陽は沈み 時は過ぎ〜〜〜

今日は残念なお知らせです。


“Hawaiian Brian”のニックネームで知られたブライアン橋本氏が先日お亡くなりになりました。

ここに故人の功績をしのび、心よりご冥福をお祈り申し上げます。





私が初めて彼に会ったのは、1988年か89年か…ビリヤードブーム真っ盛りの頃で、新宿の試合会場だったと思います。
その当時の彼はけっこう血気盛んで、日本のプレーヤーに負けてカッカしていましたネ。

彼は『ブライアン橋本』として試合に参加していたので、その当時の私にはハワイにある“Hawaiian Brian's”というビリヤード場と彼が全然結びついていませんでした。
86年頃からハワイに行くたびに訪れていたブライアンズは今とは別の場所にあり、たった8台のビリヤード場でしたが、そこで彼と会ったことがなかったのです。もしかしたらお互いに気付いてなかっただけだったのかな。

その後、私はHawaiiへ年に10回程行くようになり、よくブライアンと一緒に遊ぶようになりました。必然だったのだと思います。

彼とはずいぶんお金を賭けて球撞きしました。授業料だよネ。
ギャンブルというレベルではなくて、5番、9番で$20・$20とか、$40・$40とか…安いんです。その当時の自分にとっては安かったし、それだけ彼との球撞きは愉しかった。会話やアクションやポジショニング……まさにプロのエンターテナー!!

1ラック、取り切りで5千円とか1万円とかが動く訳です。
ハワイに7日いれば7日間彼と球を撞きました。10日ならば10日間。

今思うとトータルでいくらだったのか……毎回負けたから、彼にすれば私は年金を支払ってくれる相手くらいの感覚だっただろうネ。
もちろんブライアンズの花台で2人で撞く訳だけど、ここにたま〜に他人が混ざることも。ギャンブル好きの年寄りがハンデを貰って撞く訳だけど…まぁ皆続かない。

私は多い時は毎月のようにハワイに行っていたので、ブライアンズにいる皆が私のことを地元民と間違えてしまうほど通っていました。

彼との球撞きでの特に思い出で残っているのは、重いハワイのラシャでもBrianの球はきれいに見事に引けたこと。自分はキュー切れが悪いので、まっすぐのロングドローはお手上げだったネ。

彼に勝てなかったのはテーブルの高さとラシャの重さとクッションの速さで、入れはそこそこ同じくらいとずっと思っていました。
彼のキューは22オンス程で、自分のは19オンス。
「重いラシャではパワーのある重いキュー」という事はこんな経験から学んだ訳です。
そういえばエフレンも重かったし、ゴトッチも重かったな。

今の時代とは全く違うアイディアだよね。



彼はHawaiian Brian'sの経営をしていたわけではなく、名前を貸して毎月お金を貰っていました。
ブライアンの球はとてもきれいで振り間違いがありませんでした。
見ていてとっても参考になったし、本当に美しかった。
だから彼にはたくさんのファンがいて、店もいつも大変にぎわっていましたね。

相手に自分の球を見せるのが上手で相手を引きずり込む。
だから球を見ない相手とは面白くなさそうだった。その点では若い子はダメだよね。

自分はおそらく数百時間は一緒に撞いてもらったと思います。
ただただ愉しかった…、それしか覚えていません。



ありがとう、Brian。 安らかにお休みなさい。




By Lucky,